”酒は百薬の長”の本当の意味|コラム
考慮すべきことが多すぎて
「お酒は適量なら健康にいい!」
「いや、たとえ少量でも健康に悪い!」
この手の議論は頻繁に起こります。
先日も世界的権威のある医療雑誌が、ある論文を掲載しました。
「アルコールはたとえ少量でも健康を害する」
というものです。
そもそもアルコールが人体へどのような影響を及ぼすのか、
2日酔いも含めてその研究というのは、僕らが想像しているよりはそれ程進んではいないようです。
それはなぜか。
おそらく、考慮すべきことが多すぎてはっきりしたことが言えないからではないでしょうか?
大体の傾向は分かります。
例えばアフリカ、ヨーロッパ系の人はお酒に強く、モンゴロイド系は弱いとか、親が強ければ子もまあ強いんじゃないかとか、、、。
個人的には適量なら飲んでも問題ないと考えますが、その適量というのもがなかなか難しいわけで。
人それぞれはもちろんそうなんですが、同じ人でも日によって変わってきます。
その日の体調(疲労度、睡眠量、胃袋の具合など)、
生活習慣、
気分、誰と飲むか、
次の日は仕事か、休みか、、、などなど。
様々な要素が絡み合い、適量は変わっていきます。
しかもそれは本人も正確に把握することはなかなかできません。
またお酒はお酒で無数に種類があります。
どんな組み合わせで飲んだかでも変わってくるでしょう。
冒頭の論文はたとえ少量でも体に悪いというものです。
例えば、80代90代の高齢者の中には毎日欠かさず一杯の日本酒なり焼酎なりを飲まれている方がいます。
これをどう論理的に説明するのか。
まさか、
「お酒を一滴も飲まなければ120歳や130歳まで生きれます」
とでも言うつもりでしょうか?
確かに病気の種類によっては少量のお酒でリスクが高まるものもあります。
でもそのリスクの度合いも一様ではないでしょう。
この手の議論はこれから先も頻繁に起こるでしょう。
よりおいしく、より楽しく!
「酒は百薬の長」という言葉があります。
これははるか昔、中国漢の時代の「食貨志(しょくかし)」という書物に出てくるそうです。
昔、お酒は今よりずっと薬的役割が大きいものでしたが、飲み過ぎれば体に悪いというのは当然分かっていたはずです。
でも飲まない方が良い、とは言っていません。
逆に薬のBOSS、親分、トップ、長と言っています。
そしてこの言葉、暗に適量なら百薬の長とも言っています。
違う見方をすると、、、
薬を飲む時は絶対に、と言っていいほど処方された量、説明された量を守ります。
そう適量を守ります。
例えば3日分の薬を処方された時、ちょっとでも早く治したいからといって、3日分を1日で飲もうとする人はまずいないでしょう。
そんなことしたら体に悪いであろうと感覚的に知っています。
「酒は百薬の長」
これはお酒がまだ薬的役割の強かった時代の言葉。
薬は適量を守るのが当たり前。
お酒も適量なら百薬の長である、ということです。
このお酒の適量、人によっては全く飲まないのが適量ということもあるでしょう。
また少量過ぎて適量に満たらず、ストレスを抱え体にとって(精神的に)よろしくないということもあるでしょう。
適量なら百薬の長になり得ますが、その適量の見極めが大変に難しいわけです。
飲んだお酒のアルコール度数や体重などから自分の適正飲酒量を知る事は可能です。
基準として知っておくべきでしょう。
加えてその日の体調や気分などを考慮しなければなりません。
そして何より重要なのは、おいしいと思って飲んでいるか、その状況を楽しんでいるかです。
お酒の一番の効能はストレス発散やリラックス効果など数値では決して測れない精神面に働きかける部分だと考えています。
楽しく、おいしく飲めるという事は体にとって良いことでしょう。
もし目的が健康のためだけで、おいしいと思えないお酒を無理して飲んでいるのであれば直ちにやめるべきです。
飲み過ぎれば健康を害する、これはすべての人に当てはまります。
まずは自分の適正飲酒量を数値で把握する。
あとはその範囲内で体調などを考慮しつつ、おいしく楽しく飲む。おいしくなければ飲まない。
お酒に関しては好き嫌いは大いにするべきです。
どのみち適量は守らなければなりません。
ならせめて好きなものを飲ませてよ、的心境になるわけです。
適量の範囲内で1日の疲れを癒し、ストレス発散の1つの手段としてお酒を楽しみましょう!